アーロン・プライヤーが死去!死因は?戦績や薬物依存は?息子もボクサー!【訃報】

   

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ボクシング元スーパーライト級世界王者で、殿堂入りも果たしているボクサーのアーロン・プライヤーさんが死去されました。

享年は60歳でした。

とてもお若くして亡くなられましたが死因はいったい何だったのでしょうか?

 

今回はアーロン・プライヤーさんの死因や戦績、薬物依存、同じくボクサーである息子について調べてみましたのでご覧ください。


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アーロン・プライヤーの戦績

<アマチュア時代>

220戦204勝16敗

<プロ転向後>

40戦39勝(35KO)1敗

<世界戦戦績>

11戦全勝(9KO)無敗

<獲得タイトル>

・第24代WBA世界スーパーライト級王座(防衛8度)

・初代IBF世界スーパーライト級王座(防衛2度)

 

アーロン・プライヤーとは?

1955年10月20日にアメリカオハイオ州シンシナティ出身のプロボクサー。

歴代中量級のボクサーの中で最強の呼び声が高いボクサーの1人。

野生の猛獣のような荒々しいファイトスタイルが特徴で、現役時代の異名はシンシナティの荒鷲(The Hawk)またはビースト(野獣)。

アマチュア時代にはトーマス・ハーンズ(5階級制覇)に勝ったこともある。

WBA世界チャンピオン時の1982年7月4日には日本人の亀田昭雄さんと対戦し、1回にダウンを奪われるも6回TKO勝ちを収める(5度目の防衛)。

プロでの唯一の敗戦は薬物使用によってIBFから王座をはく奪され、2年半ぶりの復帰戦となった試合によるもの(相手は無名のボビー・ジョー・ヤング)。

1990年に現役を引退。


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薬物使用~ボクシング殿堂入り

IBF王座時代の1984年ごろから薬物におぼれ始めたプライヤーは1985年に王座をはく奪される。

 

その後、母親の首を絞めて逮捕されたり、女性を強姦・監禁して逮捕されるなど荒れた生活を繰り返す。

2度の激闘を演じたアレクシス・アルゲリョは、彼の痩せた風貌(体重約50kg)と薬物依存による認識不能(アルゲリョの言葉を理解できていなかった)に大きなショックを受けたそうです。

 

1987年にプライヤーは麻薬から足を洗ったと宣言し復帰戦を行うも敗れる。

その後コカインがプライヤーの車の中から発見され起訴されるなど薬物との戦いは続く。

 

1990年に現役引退したのち、1991年にコカインを販売目的に所持していたとして逮捕される。

約半年間刑務所に服役したのち、ドラッグリハビリセンターに入所。

そこで出会ったフランキー夫人と結婚し、4人の子供を授かる。

 

1993年に薬物依存を克服

 

1996年にボクシング殿堂入りを果たす。

 

その後は故郷のシンシナティで牧師に転身したそうです。

現在は自身の経験からアンチ・ドラッグの活動を行いながら、自らジムを開いて子供たちにボクシングを教えていたそうです。

 

死因は?

プライヤーは試合中に発症した網膜剥離の影響で左目がほとんど見えなかったそうです。

また長年心臓病を患っていたとも報道されています。

引退後は病気との戦いだったんですね。

今回死因については詳しく明かされていませんが、おそらく持病の心臓病の影響ではないでしょうか?

心よりお悔やみ申し上げます。

 

息子の戦績は?

プライヤーの長男には同じくプロボクサーのアーロン・プライヤー・ジュニアがいます。

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出典:http://boxrec.com/boxer/325334

ジュニアは1978年6月16日生まれの現在38歳でありながらいまだに現役です。

しかし父親ほどの実力はなく、プロでの戦績は31戦19勝(12KO)10敗2分です。

 

きっと今回のプライヤーの死を深く悲しんでいるでしょうね。

 

最後に

ボクサーは長生きできませんね。

パンチドランカーになる方も多いですし・・・。

しかし強くなれば莫大なファイトマネーを得られる夢のある職業ではあると思います。

プライヤーのように荒々しくて野性味のある強いボクサーが出てきてくれることを祈っています。


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