堂上剛裕の現在!結婚した嫁や子供は?巨人を戦力外で現役引退!中日・直倫の兄!
2017/11/20

こんにちは、ミキマネです(^^♪
読売ジャイアンツの堂上剛裕外野手が戦力外通告を受け、現役を引退しました。。
2014年オフに中日を戦力外となり、2015年からは巨人の左の代打の切り札として活躍してくれていましたが、今年は一軍出場なしという成績に終わりましたからね。
しょうがないといえばしょうがないですが、巨人ファンとしては残念です。
今後の去就については未定ですが、“ドニキ”の動向を見守りたいと思います。
今回は堂上剛裕選手の経歴やプロフィールを作成しました。
・2017年現在の年俸、1・2軍での成績など
・結婚した嫁は誰?子供はいる?
こういったことについても調べてまとめましたのでごゆっくりご覧ください。
スポンサードリンク
堂上剛裕のプロフィール
名前:堂上 剛裕
読み方:どのうえ たけひろ
愛称:ドニキ
生年月日:1985年5月27日
年齢:32歳(2017年10月現在)
出身地:愛知県春日井市
血液型:
身長・体重:184cm・93kg
学歴:春日井市立山王小学校→春日井市立知多中学校→愛知工業大学名電高等学校卒業
球団:中日ドラゴンズ→読売ジャイアンツ
ポジション:外野手、一塁手
投打:右投左打
著名な家族:堂上照(父:元中日ドラゴンズ投手)、堂上直倫(弟:中日ドラゴンズ所属の内野手)
経歴
山王小学校時代に、名古屋北リトルリーグで硬式野球を始める。
中学時代は、名古屋富士ボーイズという硬式野球チームに所属。
愛工大名電高校時代は、通算46本塁打を放ち、甲子園に2年春(1回戦敗退)、3年春(3回戦敗退)、3年夏(2回戦敗退)と計3回出場。
2003年のドラフト会議で中日ドラゴンズから6位指名を受け入団。
2年目の2005年9月10日の巨人戦に代打で初出場(3球三振)。
4年目の2007年にプロ初安打を記録し、サヨナラ本塁打も放つするなど活躍。
2010年からは左の代打として出場機会が増えるも、レギュラーを奪うまでには至らず。
2011年12月に結婚。
2012年はライトでのスタメン出場が増え、自己最高の85試合に出場し、打率.282、4本塁打を記録。
2014年10月1日に中日から戦力外通告を受ける。
同年11月17日に読売ジャイアンツと育成契約を結ぶ。
2015年2月23日に支配下選手登録され、左の代打の切り札として一軍で活躍。
2016年シーズンは打率.167と低迷。
2017年シーズンは、二軍で打率.297、5本塁打という成績を残すも、一軍出場なしという成績に終わる。
選手としての特徴
184cm、93kgという体格を生かしたパワフルな打撃が魅力です。
中日時代はなかなか出場機会を得られなかったものの、2007年に巨人戦で代打サヨナラ本塁打を記録するなど勝負強い打撃を披露していましたね!
一方、守備に不安があると言われ続けています。
強肩ではあるものの、守備範囲が狭く、外野と一塁しか守れないのが痛いですね。
【通算成績】
・407試合出場
・701打席(646打数)
・167安打
・打率 .259
・15本塁打
・86打点
・出塁率 .307
・長打率 .399
・OPS .706
スポンサードリンク
2017年現在までの年俸は?
2003年のドラフト会議で中日ドラゴンズに3位指名され入団した堂上剛裕選手は、契約金6000万円、年俸600万円でプロ野球生活をスタートさせました。
↓年俸推移
~中日時代~
2004年→600万円
2005年→600万円
2006年→600万円
2007年→580万円
2008年→850万円
2009年→1100万円
2010年→900万円
2011年→1200万円
2012年→2400万円
2013年→2700万円
2014年→2025万円
~巨人時代~
2015年→600万円
2016年→2500万円
2017年→2000万円
今年は年俸2000万円だったんですね!
長くプロ野球の世界にいらっしゃいますが、最高年俸は2013年の2700万円。
正直、もっと稼いでいる印象でした!
結婚した嫁は誰?子供はいる?
2011年12月7日に結婚は発表した堂上剛裕選手。
お相手の嫁の名前は小川怜子さん。
同郷の春日井市出身で年齢は2歳年上。
アロマセラピストとして働かれていたとのこと。
2012年オフに挙式・披露宴を行いました。
出会いや馴れ初めについては不明でした。
子供がいるかについても不明でした。
また何か情報が得られましたら更新します。
現役引退を発表!
10月28日に巨人から戦力外通告を受けた堂上剛裕さんは、翌29日に現役引退を発表しました。
後半戦はメンタル面でも技術面でもかなりの手応えがあって、勝負できるな、というのがあったのですが、自分がやりたいと言ってもやれる世界ではない。そこはよく考えて決断しました
「自分がやりたいと言ってもやれる世界ではない」という言葉がプロ野球という世界の厳しさを物語っていますね。
今後の去就については未定とのこと。
指導者、解説者、球団職員、他業種、様々な選択肢があると思いますが、これまで支えてくれた家族に感謝して第二の人生も頑張っていただきたいですね!
ありがとう!ドニキ!!
スポンサードリンク