米沢隆死去!民社党委員長の死因は呼吸不全?政界引退後は何をしていた?【訃報】

   

どうも、ミキマネです。

旧民社党委員長の米沢隆(よねざわ たかし)氏が死去されました。

死因は呼吸不全で享年76歳でした。

心よりご冥福をお祈りいたします。

さて今回は、米沢隆氏という政治家を30年続けた男がどのようなことを成し遂げたか。

また、民社党とはどんな政党だったか。

政界引退後は何をしていたかなど調べてみましたのでご覧ください。


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米沢隆のプロフィール

◎名前:米沢 隆(よねざわ たかし)

◎生年月日:1940年1月28日

◎出身地:鹿児島県

◎学歴:ラ・サール中学校・高等学校→京都大学法学部卒

◎職歴:旭化成→宮崎県議会議員→衆議院議員→UIゼンセン同盟政治顧問など

 

経歴・成し遂げたことなど

京都大学卒業後、旭化成に入社し全旭連(現在の旭化成労働組合)書記長を務める。

1971年、31歳の若さで宮崎県議会議員選挙に出馬し初当選(1975年も再選)。

1976年、36歳で民社党公認で衆議院議員総選挙に出馬し、見事当選(以後、通算9回当選)。

1985年、民社党政策審議会長に就任。

1989年、民社党書記長に昇格し1990年も再任。

1992年、PKO法案成立に協力(PKO法案は国際連合平和維持活動の略)。

 

ワン・ワン・ライス時代

細川・羽田連立政権時は、民社党を事実上取り仕切る。

小沢一郎と市川雄一の3人で政権運営を行い、ワン・ワン・ライスと呼ばれる。

1994年、民社党委員長に昇格。

1994年12月、民社党を解党し、新進党を結党し副党首に就任する。

 

民主党時代

1996年、衆議院議員選挙、落選。

新進党を解党し、民主党に合流。

2002年、衆議院選挙で比例繰り上げ当選。

2004年、民主党副代表に就任。

2005年、衆議院選挙で落選。政界を引退する。

 

長い政治家人生でしたね!

そのはず、県議時代を合わせると30年以上も政治の世界で働いてきたわけですもんね!

 

それでは次に民社党とはどのような政党だったかご覧ください。


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民社党とは?

1960年から1994年まであった日本の政党。

民主社会主義の理念のもと、革命を否定して代議制民主主義を通じて労働者の権利擁護、福祉増進を行い、合法的・民主的に社会主義の理想を実現していこうとした。

反共産主義を掲げ、共産党を激しく批判。

1993年の細川内閣のときの連立政権で与党となり、自由民主党が初めて野党となった。

羽田内閣のときも与党だったが、計10ヶ月で野党へ。

1994年12月、新進党結党により解党し、約25年の歴史に幕を下ろした。

 

政界引退後

米沢隆氏は政界引退後、民社党の有力な支持組織だったUIゼンセン同盟の政治顧問を務めました。

UIゼンセン同盟とは、全国繊維化学食品流通サービス一般労働組合同盟のことで、現在はUAゼンセンになっている。

UAゼンセンは現在最も人数の多い労働組合となっています。

また、米沢氏は自身が設立した民社協会の最高顧問も務めていました。

 

最後に

民社党が連立で政権を持ったとき、陰で日本を動かしていたのは米沢氏だったのかもしれないのですね。

民社党の大功労者であることは間違いないと思います。

心よりお悔やみ申し上げます。


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