訃報です。
元衆議院議員の加藤紘一さんが死去されました。
享年は77歳。
心よりご冥福をお祈りいたします。
死因はいったい何だったのでしょうか?
今回は元自民党幹事長も務めた政治家・加藤紘一さんの現在、三女鮎子さんや息子について、また死因となった病気について調べてみました。
加藤紘一のプロフィール
◎名前:加藤 紘一(かとう こういち)
◎生年月日:1939年6月17日 – 2016年9月9日(享年77歳)
◎出身地:愛知県名古屋市出身、山形県鶴岡市育ち
◎学歴:麹町中学校→日比谷高校→東京大学法学部→国立台湾大学大学院→ハーバード大学大学院卒
◎職業:元国家公務員(外務省)、衆議院議員
経歴
1972年12月に行われた「第33回衆議院議員総選挙」にて父・加藤精三の後任として自由民主党公認で出馬し、初当選。
中曽根内閣だった1984年11月1日~1986年7月22日まで防衛庁長官を務める。
宮沢内閣だった1991年11月5日からは官房長官を務める(1992年12月12日まで)。
政治家時代は”内閣総理大臣候補”として注目された。
しかし2000年に森喜朗首相に辞任を迫った「加藤の乱」に失敗。
2002年には元事務所代表の脱税事件の責任を取り議員辞職する。
2003年に再選するも2012年に行われた「第46回衆議院議員総選挙」で落選。
その後も政治活動を続けるも、秘書を務めていた三女の鮎子を後継者に指名し、自身は政界引退の意向を示した。
最近まで衆議院議員を務められるなどお元気な姿を拝見していただけに急な訃報で驚いています。
死因は?
2016年9月9日午後0時45分に東京都内の病院で死去された加藤紘一さん。
死因は肺炎。
実は同年4月に病気で危篤状態との報道がありました。
当時は何の病気を患っていたか明らかになっていませんでしたが、ICU(集中治療室)に入っていたとのこと。
おそらくその頃から身体を悪くされていたのでしょうね。
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三女・鮎子は衆議院議員
1967年に結婚した加藤紘一さんには三人の娘さんがいらっしゃいます。
その中で、三女・鮎子さんは議員時代の加藤紘一さんの秘書を務め、現在は衆議院議員として父に続き政治活動を行っています。
初当選は2014年12月に行われた「第47回衆議院議員総選挙」。
加藤鮎子さんは当選後、谷垣禎一氏の友隣会に加わり、自民党女性局次長・自民党青年局次長に就任していました。
そして2017年10月22日に行われた「第48回衆議院議員総選挙」で山形3区から出馬し、当選。
現在2期目となっています。
結婚・離婚歴あり
加藤鮎子さんは議員になる前の2006年に宮崎謙介さんと結婚しています。
宮崎謙介?
そうです。
今年話題となった“男性の育児休暇を広めようと画策していたのに妻の妊娠中に不倫した”元国会議員です。
当時は加藤紘一さんの跡取りとまで言われていたのに離婚してしまったんですね。
2009年に宮崎さんと離婚した鮎子さんは現在別の方と結婚され、4歳の息子さんと仲良く暮らしていらっしゃるようです。
本名が「角田鮎子」さんとのことですから、角田姓の男性とご結婚されたでしょうね!
息子がいる?
加藤紘一さんをネットで検索すると、「息子がTBSで働いている」という情報を目にします。
しかし実際は加藤紘一さんに息子はいらっしゃいません。
おそらくTBSで働いているのは長女か次女だと思われます。
みのもんたさんの息子が逮捕された時に、テレビ局にコネ入社したのではないかと思われる有名人の子供の1人として話題になっていました!
最後に
一つの時代が終わりましたね。
今の豊かな日本を作った一人と言っても過言ではないと思います。
これからは鮎子さんに頑張っていただきたいですね。