訃報です。
空手家の黒澤浩樹さんが3月25日に死去されていたが、聖心館空手道の事務局長・黒澤弘美さんにより発表されました。
死因は急性心不全で享年54歳でした。
心よりお悔やみ申し上げます。
空手界のレジェンドとして君臨してきただけでなく、「PRIDE.1」や「K-1」にも出場し、イゴール・メインダートさんや角田信朗さんなどと死闘を繰り広げ、多くの格闘技ファンの記憶にも刻まれました。
今回は黒澤浩樹さんの経歴やプロフィールを作成しました。
都市伝説、結婚しているのか、子供はいるのか、館長を務める聖心館空手道の場所などを調べましたのでご覧ください。
黒澤浩樹のプロフィール
名前:黒澤 浩樹(くろさわ ひろき)
通称:ニホンオオカミ、格闘マシーン
生年月日: 1962年9月6日(享年・54歳)
出身地:東京都
身長・体重:174cm・88kg
学歴:東海大学工学部卒
職業:空手家
所属:極真会館→黒澤道場(現・聖心館空手道)
経歴
実家は裕福な家庭で、小学生時代はバイオリンを習っていた。
中学生のとき、極真会館総本部に入門。
その後、座間中村道場→東京都下城西支部へと移籍する。
1984年11月にオープントーナメント全日本空手道選手権大会に最年少で初出場し初優勝。
同大会では1985年に準優勝、1993年に6位と活躍。
1993年、オープントーナメント全日本ウェイト制空手道選手権大会で3位。
1995年、同大会3位。
極真全世界空手道選手権大会では第4~6回まで連続出場し、第5回大会では3位。
1997年10月に格闘技イベント『PRIDE.1』に参戦。
1998年に黒澤道場を設立(2011年に聖心館空手道に改称)。
2000年に『K-1』参戦。
現在は聖心館で後進の指導にあたっていた。
3月25日に死去。死因は急性心不全。
2017年3月29日、聖心館空手道で事務局長を務める黒澤弘美さんが黒沢浩樹さんの訃報をfacebookで発表しました。
死因は急性心不全。
格闘家として万全な状態で自身の更なる精進と精度を高め、そして愛弟子達に最高の指導をすべく、昨年膝の手術に挑みました。その後は一刻も早くの復帰をとリハビリに勤めて参りました渦中の突然の出来事ありました。そばで快復に向けて日々心血を注ぐ黒澤浩樹の姿を見ておりましただけに残念で仕方ありません。
と、黒沢浩樹さんの近況について語っています。
54歳と本当にお若くして亡くなられましたね。
道半ばでの死去には、黒澤浩樹さん本人が一番悔しがっているでしょうね。
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黒澤弘樹の都市伝説!
黒澤弘樹さんは極真会館所属時は松井章圭さん、増田章さんとあわせて”三強”と呼ばれ、空手家ならだれもが憧れた存在でした。
過去には数多くの都市伝説を残していらっしゃいます。
・手の骨が折れて皮膚の外に露出してしまっても、まるで意に介さないかのように一心不乱に攻め続けた。
・第4回全世界空手道選手権大会での対P・スミス戦は、黒澤自身が歩行不能になるまで戦い続けた。
・平成3年6月の全日本ウェイト制選手権で、試合中に薬指の開放骨折をしていたがドクターストップされるまで戦い続けた。
・相手の脚を下段回し蹴りで折ってしまい、16万円の慰謝料を取られた。
・PRIDEでイゴール・メインダート選手と対戦した際、1Rに右膝十字靱帯断裂というけがを負いながら3R途中まで戦い続けた(結果は3R TKO負け)。
まさに空手界のレジェンドでした。
格闘家の角田信明さんもPRIDE・K-1で黒澤さんと対戦したことが、人生の転機になったと語っていました。
またすさまじいウエイトトレーニングを行うことでも有名でした。
聖心館空手道とは?
聖心館空手道とは黒澤浩樹さんが館長を務める空手道場で、場所は東京都中野区弥生町にあります。
下は3歳から上は一般社会人まで幅広く指導を行っています。
肉体的な技術オンリーの空手指導ではなく、礼儀作法、笑顔を基本としほがらか明るくイキイキとした対応をモットーとし、特に子供に対しては「心の空手」の指導を徹底しております
という信念のもと、黒澤浩樹さんは指導を行ってきました。
結婚してる?妻や子供は?
黒澤浩樹さんの結婚や妻・子供に関する情報をネットで調べてみましたが、残念ながら見つかりませんでした。
おそらく今回の訃報を伝えた黒澤弘美さんが妻か親族の方だと思われます。
最後に
空手界のレジェンドを失ってしまいましたね。
黒澤浩樹さんのように摂生をされている方でも、急性心不全で亡くなってしまうとは本当に人生何が起こるかわかりませんね。
ご冥福をお祈りいたします。